愛犬、天に召される | クルマ屋 奮闘記

愛犬、天に召される

© 2011 Google

上の画像は2011年現在、自宅兼社屋の住所で表示されるストリートビューからのワンカット。
他のカットで見える入庫中の青いシボレークルーズは、どうやらコーティング作業中のように見えるところから
Google撮影車が実際に我家の前を通ったのは、2010年2月4日~2月5日頃と推定。

人物やナンバープレートには必ずボカシが入りますが、幸いペットにまでは及ばないようで、手もかじかむ真冬、
寒いはずの玄関先に顔だしてた愛犬クーの姿が綺麗に写りこんだのは、まさに奇遇だったと思います。


2011.11.20 AM3 、愛犬クー夭逝。
享年8 ( 満7歳10ヶ月 )、日曜日未明の出来事でした。

実はこの春、定期健診で肝機能低下を示す数値が出たため、それに応じた処方が出たのですが。
ドッグフードに単に混ぜると上手によけて残すので、対策として錠剤を細かく砕いても、良薬口に苦しというやつなのか、
彼女はそれを食事に混ぜられるのをひどく嫌がり、「よし!」と声かけても食べよか食べまいか躊躇。
何度も掛声かけてやっと仕方なく食べはしましたが、いかにして嫌いな薬の味から逃れるか、
彼女なりに一生懸命考える日々が続きました。

それがきっかけになったのかは分かりませんが、その頃から物事を考える力がすごくつきましたね。
仕事柄、人の出入りが多いのですが、ちゃんと犬の苦手そうな人を見分けて指定席から動かなかったり。
元々吠えない子だったのですが、散歩の時以外はリードに繋ぐ必要が全く無くなりました。
アイリッシュセッターは、長じると実に大人しい家犬になるとは聞いていましたが、それにしてもお利巧でした。

写真にある玄関段上でスフィンクスのように伏せをして、初夏の風に優雅に毛をなびかせていた姿が懐かしいです。
思い合わせると、この頃から少しずつ病魔が身体を蝕みはじめていたのでしょうね。
夏の終り頃、「最近元気あらへんなぁ」と言われだし、再検査するも特に異常は見つからぬまま日だけが過ぎていきました。

10月末日、初嘔吐。
数日その症状が続いたために動物病院を替えて検査し直してもらうと、推定リンパ腫?
病理には出さなかったのですが、6cmほどの腫瘍らしき影などが多数見つかり、対症療法・末期ケアということに。。
初診では年を越せるかどうかというお話だったものの、食べて飲んでという基本に支障きたすと脆いものなのですね。
半月ほどの間に病状はどんどん進行していったのでありました。

忘れ得ないのは他界する前々日、輸液(点滴)してもらった後の出来事。

通院往路、抱きかかえねばならなかったのが嘘のように、帰路は車にピョンと飛び乗れ元気な様子だったので、
家に着いてから「散歩行くか?」と問うと「行く行く!」との意思表示。
時刻はPM8時頃だったでしょうか。 お日様もとっくに暮れていたのですが、迷うことなく即出発。
玄関~近所の公園~玄関の全行程、多分これが最後かもという想いが両者にひしひしあったのだと思います。
この時、初めてずっとリード無しでの外歩きになりました。
体重27kgはある中型犬。 元気な頃は手が痛くなるほどぐいぐい引っ張って先に行こうとしていた子が、
私の左足あたりに鼻先並べ、歩調ずっと合せて歩いてくれました。

そして再び玄関口へ。
道路と屋内を隔てている僅かな高さの一段上がれば、それで散歩が終るのを知ってか知らずか動こうとせず。
かといって、まだ散歩し足りないという感じでもなく。。アイコンタクト数秒。。 そして察することが出来ました。
こういうシーンでは、たとえ人同士でも言葉不要だったかも知れません。
私は一歩下がって玄関口に腰かけて煙草に火をつけ、静かに見守る姿勢をとりました。
それから時間にしておおよそ15分~30分くらいだったでしょうか。
その間愛犬は、直立不動で首筋伸ばし、ずっとただ一点を見ているようでした。
それは2ブロック先に小さく見える信号機?
犬には色の判別は出来ないそうですが、青から赤へ何度も何度も変わるのを飽きもせずずっと見つめるその姿、
まるで慣れ親しんだ景色に今生の別れを告げるべく敬礼しているかのように感じられました。
いいえ、正にその通りだったのでしょう。
「登舷礼」という言葉があります。 出航する軍艦の舷側で姿勢を正す白ラン姿・・・
映画の中のワンシーンであるかのようなその姿は、私の脳裏に深く刻まれたのでした。

元々迷い込んできたワンコですが、しかし、だからこそ一緒に過ごした 7年余りの年月は、まるで天からの授かり物だったように思え、そのことを何とか形にして残したいと考えました。

場所は勿論玄関口。
実質的には墓標なのですが、あからさまにはそうとせず。
一見建物の定礎のような素材・様式を選び、ただ淡々とした英字の碑文を刻んで貰ったのでした。 今では脇に植木鉢が置かれ、花に囲まれた中、ひっそりと往時を偲んでいます。  完


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